第八章 現実の亡骸としてのメタバース

 メタバース――この言葉を聞くとき、
 多くの人は仮想空間に広がる新しい世界を思い浮かべる。
 だが、より正確に言えば、それは「現実の再演」である。
 より便利に、より快適に、より効率的に、
 現実という舞台をもう一度スクリーンの上に築き直したもの。
 メタバースは未来ではない。
 それは、現実が死んだ後に残された亡骸なのだ。

 その仕組みを単純に説明すれば、
 メタバースとは、インターネット上に構築された
 三次元の仮想空間であり、
 人々はアバターと呼ばれる分身を介して、
 交流・労働・娯楽・経済活動を行う。
 その内部では、仮想通貨やNFTが経済を循環させ、
 スマートコントラクトが契約を自動で執行する。
 すなわち、メタバースは仮想通貨文明の総合芸術である。
 ブロックチェーンが血管であり、
 アバターは肉体、データは魂である。

 この概念の起源は、1992年のSF小説『スノウ・クラッシュ』に遡る。
 そこでは、荒廃した現実に絶望した人々が、
 仮想世界の中でしか幸福を見いだせなくなっていた。
 30年後の現実は、ほぼその通りになった。
 パンデミックは人々を家に閉じ込め、
 仕事も会議も恋愛さえも、
 画面の向こうで完結するようになった。
 メタバースとは、現実の退屈が生んだ救済装置であり、
 同時に、逃避の制度化でもある。

 現状、Meta(旧Facebook)、Microsoft、Apple、
 さらには無数のスタートアップがこの領域に参入している。
 だが、その「理想的な第二の現実」は、
 いまだ不格好な半透明の夢にすぎない。
 ヘッドセットの重さ、没入感の限界、
 そして何より“そこに生きる理由”の希薄さ。
 多くの人は一度訪れても、
 長く留まることはない。
 なぜなら、そこには痛みがなく、
 したがって実感もないからである。

 それでも、資本はこの亡骸を愛している。
 メタバースの土地は売買され、
 仮想の服が流行し、
 アバターが広告塔になる。
 貨幣と欲望が流れはじめると、
 死んだ世界も再び“生きているふり”を始めるのだ。
 メタバースは、経済によって蘇生された死体である。

 この世界の恐ろしさは、
 我々がそれを虚構と知りながら、
 なお「現実よりも現実らしい」と感じてしまう点にある。
 光も風も匂いもない空間で、
 人は確かに幸福を模倣できる。
 だが模倣を続けるうちに、
 幸福の原型そのものがどこにあったのか、
 誰も思い出せなくなる。

 ——メタバース。
 それは、現実を葬った人類が築いた、
 最も整然とした墓地である。
 そこでは死もまた再現可能であり、
 我々はその仮想の墓標に向かって、
 「まだ生きている」と呟くのである。