第一章 欲望としてのブロックチェーン

 ブロックチェーンとは、簡潔にいえば「信頼の分散」である。
 だがこの一句ほど、現代人の矛盾を美しく包み隠す言葉も稀であろう。人は誰も信用しないために、信用を分かち合うことを思いついた。かくして、信の不在が新たな信仰を生んだのである。

 その仕組みは、数学的に見れば単純だ。取引の記録を「ブロック」として時系列に連ね、それを世界中の無数の機械が同時に検証する。いわば帳簿を一人で持つ代わりに、全員で監視し合う方式である。
 誰かが改ざんを試みれば、他の多数がそれを拒む。真実は投票で決まる。理屈としては美しいが、その実、信頼は「機械への信」に置き換えられただけだとも言える。

 この機構の根底にあるのは「中央の死」という思想である。国家も銀行も企業も、いずれ信用を独占してきた「中心」を排してしまえという夢。しかし、中心を失った世界ほど、奇妙に新しい中心を生む場所もない。
 マイニングの設備を独占する者、取引所を運営する者、そして市場を煽動する者——分散の旗を掲げながら、人々は依然として権力の影を恋うている。ブロックチェーンが描くのは、自由の構造であると同時に、欲望の幾何学でもある。

 現代のブロックチェーン技術は、通貨のみならず、芸術、契約、選挙、医療の記録にまで及びつつある。
 人はこの仕組みに、完全なる「透明性」と「永遠性」を夢見る。だがその夢は、いかにも現代的な恐怖と表裏をなす。
 一度刻まれた記録は、原則として消せない。つまり、赦しも忘却も存在しない。
 神を失った人類は、ブロックチェーンという新たな「記録の神」を造り上げたのだ。

 そして誰よりも熱狂しているのは、経済人でも技術者でもなく、実は「未来を信じたい」人々である。彼らはこの技術を希望の容れ物として崇める。だが、欲望の熱を帯びた信仰は、やがて宗教にも似た硬直を生む。
 ブロックチェーンが世界を救うと信ずる者もあれば、それを嘲る者もいる。しかし両者の間にあるのは、信と懐疑という同じ熱のふたつの極にすぎない。

 要するに、ブロックチェーンとは技術の名を借りた欲望の構造体である。
 それは人類が「信頼を数式化しよう」とした結果、むしろ「信じる衝動」そのものを証明してしまった鏡なのだ。
 数字に祈り、ハッシュに救いを求める我々の姿は、古代の祭祀と何ら異ならぬ。
 ただ、祭壇が雲の上にあるというだけである。