第四章 法の死としてのスマートコントラクト
法は、かつて人間の言葉で書かれていた。
その文はあいまいで、解釈の余地に満ち、
ゆえにこそ人は議論し、裁き、赦すことができた。
しかし、スマートコントラクトの登場は、
この柔らかな「法」を、冷たいコードへと変貌させた。
スマートコントラクト(Smart Contract)とは、
ブロックチェーン上に書かれた「自動執行される契約」である。
条件を満たせば即座に取引が成立し、
満たされなければ永遠に拒絶される。
仲介者はいない。弁護士も、裁判官も、涙もいらない。
ただ「If」と「Then」だけが、世界を律している。
その発想の源は、一九九四年、ニック・サボという暗号学者が唱えた理念にある。
彼は自動販売機を例に挙げた。
「硬貨を入れれば、飲料が出る。これは単純だが完璧な契約の実現である」と。
スマートコントラクトは、いわばその哲学を極限まで拡張したものだ。
だが、人間社会における契約は、
常に“誤解”と“例外”によって成り立ってきた。
それを排除した瞬間、法は生きた言葉ではなく、
単なる命令列として死を迎える。
現実の実装としては、イーサリアムがその代表である。
このネットワークでは、プログラムがブロックチェーン上で実行され、
世界中のノードが同時にその正当性を検証する。
契約は一度記録されれば、誰も改ざんできない。
つまり、法廷のない正義、裁定なき決定が生まれたのである。
だが、コードが神のように振る舞うとき、
神と同じほどの無謬さを期待してはならない。
スマートコントラクトにもバグがあり、
それは契約の条文に穴が空くのと同じことだ。
2016年の「The DAO事件」では、
たった数行の欠陥コードによって数億ドルが奪われ、
その救済のためにシステム自体が「分岐」した。
法が誤ったとき、人間は法を修正する。
だが、コードが誤ったとき、法そのものを二つに割るしかなかった。
それでも、人々はこの仕組みに希望を見出している。
政治の腐敗を嫌う者、金融の不透明を憎む者、
そして「正義を人間に任せてはならぬ」と信じる者たち。
スマートコントラクトは、彼らにとって新たな神殿であり、
その前で祈る言葉は「Trustless(信頼なき信頼)」である。
だが、信頼を数式に置き換えた文明が、
果たして幸福を得られるかは疑わしい。
法の死とは、同時に赦しの死でもある。
すべてが自動で裁かれる世界では、
誰も悔い改めることができない。
契約の履行が完璧であるほど、
そこに生きる人間は不完全であることを許されなくなる。
——スマートコントラクト。
それは、正義をアルゴリズムに葬り、
人間をその墓碑として立たせた文明の記念碑である。
われわれは今、その墓前に花を供えながら、
なおも「公平」を祈っているに過ぎない。

