第五章 民主主義の亡霊としてのDAO
DAOとは、Decentralized Autonomous Organization(分散型自律組織)の略である。
文字にすれば仰々しいが、その本質はひとつの理想である——
人間を排した民主主義の夢だ。
DAOは、ブロックチェーンの上に構築された組織体である。
そこには社長も議長もいない。
代わりに、ルールを記したスマートコントラクトが中枢を担う。
参加者はガバナンストークンと呼ばれる“投票権”を持ち、
提案・投票・実行の一切がプログラムによって自動化される。
意思決定の全過程が記録され、改ざんできず、
いわば「腐敗のない議会」を夢見る試みである。
しかし——理想はいつも美しいほどに不吉だ。
DAOが描くのは、権力なき共同体という幻影であり、
その実、見えぬ権力の温床でもある。
投票権はトークンの保有量に比例するため、
多く持つ者ほど多くを決める。
民主主義の名のもとに、資本が発言権を支配する。
それは選挙のようでありながら、実際には寡頭制の再現である。
しかも、DAOの参加者はしばしば匿名である。
国境も、法人格も、倫理も越えて、
コードが唯一の法となる。
決定に誤りがあっても、責任を問う相手はいない。
この無責任の透明さこそ、DAOの最大の美徳にして最大の欠陥である。
人間がいないということは、誰も罪を引き受けないということだからだ。
歴史を顧みれば、民主主義とは常に「人間の不完全さ」を前提として成り立ってきた。
対話の遅さ、手続きの煩雑さ、時に腐敗までも、
それらは制度の欠陥であると同時に、社会が人間的である証でもあった。
DAOはそれを排除した。
多数決は即時に行われ、結果は即座に執行される。
だがその迅速さは、思考を省略し、熟議を忘れさせる。
人間のための民主主義は、ここで機械のための効率へと変貌した。
それでも、多くの人々がDAOに魅せられている。
国家や企業の硬直に飽いた者たちが、
「自律」という言葉の響きに救いを求めているからだ。
DAOは彼らに、秩序のない自由、指導者なき共同体、
そして責任のない幸福を約束する。
それは、近代民主主義がかつて夢見て果たせなかった理想の亡霊である。
しかし亡霊は、生者を導くのではなく、
ただ夜の街をさまようだけだ。
DAOが築く世界は、冷たく整然とした墓地に似ている。
そこでは人々の意思がコードとなって眠り、
合意が墓碑のように刻まれてゆく。
——DAO。
それは、民主主義の死後に現れた幻であり、
「自由をプログラムに委ねた社会」の原型である。
もしかすると、我々はすでに投票済みなのかもしれぬ。
ただ、その票がどの神に届くのかを、誰も知らぬままに。

