第七章 国家の影としてのステーブルコイン

 通貨とは、国家が発行する約束の影である。
 そこに刻まれるのは、金属でも紙でもなく「信用」という幻であった。
 だが、仮想通貨の出現によって、
 この影が新たな影を生みはじめた。
 それが、ステーブルコイン(Stablecoin)である。

 ステーブルコインとは、
 ドルや円などの法定通貨の価値に連動するよう設計された仮想通貨である。
 ビットコインのように激しく価格が揺れず、
 「安定した通貨」をブロックチェーン上に実現しようとする試みだ。
 市場ではTether(USDT)、USD Coin(USDC)、DAIなどが代表的で、
 これらは日々、数兆ドル規模の取引に使われている。
 要するに、ステーブルコインは「仮想通貨の中の現実通貨」なのだ。

 仕組みは二つに分かれる。
 一つは、実際のドルや国債を担保として保管し、
 その証明をもとに同額のコインを発行する「法定担保型」。
 もう一つは、他の仮想通貨を担保にしたり、
 アルゴリズムで供給量を調整して価格を維持する「暗号担保型」である。
 前者は現実の銀行に依存し、後者は数式に依存する。
 だが、どちらも本質的には「国家の影に寄り添う通貨」にすぎない。
 なぜなら、安定を保証するのは、結局“国家の価値”そのものだからである。

 仮想通貨は、もともと国家や中央銀行の支配を離れた自由の象徴だった。
 しかし、ステーブルコインはその自由を保つために、
 再び国家の信頼を借りてしまった。
 つまり、国家を否定した思想が、
 最後には国家の影にすがるという皮肉な構図である。
 「自由」と「安定」は、常に相容れぬ双子なのだ。

 現実には、ステーブルコインは
 暗号資産の取引を支える基盤として機能している。
 ビットコインの裏側で、無数の取引所がこの仮想ドルを回している。
 しかし一方で、Tetherの準備資産の不透明さや、
 アルゴリズム型ステーブルコイン「TerraUSD」の崩壊など、
 その安定がいかに脆い虚構であるかも露わになった。
 結局、数式が国家の役割を代替することはできなかった。
 安定を望むほど、通貨は再び国家の懐に引き戻されていく。

 興味深いのは、各国の中央銀行が
 この動きに呼応するように「CBDC(中央銀行デジタル通貨)」の開発を進めていることだ。
 それは国家による“公式なステーブルコイン”とも言える。
 つまり、国家は影を恐れ、ついに自らの影を模倣しはじめたのである。
 もはや仮想通貨と法定通貨の区別は、
 夢と現の境目ほどに曖昧だ。

 ステーブルコインとは、
 国家という巨影が自らを映した鏡像であり、
 その鏡の中で我々は、
 「自由を求める者が、安定を買う」光景を見ている。
 そして気づけば、国家もまた、
 信用をブロックチェーンに委ねる存在となりつつある。

 ——ステーブルコイン。
 それは、国家の死ではなく、国家の残響である。
 人類が自由を夢見るたびに現れる、
 統治の亡霊なのだ。